この春、 佐藤真監督の「阿賀に生きる」を観た。
「阿賀に生きる」が公開されたのは1992年とのこと。かつて新潟水俣病の発生源となった阿賀野川周辺に暮らす人びとの生活を追ったドキュメンタリーで、1988年〜1992年ごろと思われる鹿瀬町、安田町などの集落の暮らしが生き生きと収められている。鹿瀬町も安田町も、2000年代半ばに周辺の地区と合併され、鹿瀬町は2005年に阿賀町に、安田町は2004年に阿賀野市になったよう。「阿賀」というのは、地元の人びとが阿賀野川周辺の地域を呼ぶときの呼び方らしい。行政が定めた区分や地図が指し示す特定の地域ではない、地元の人びとの暮らしや身体に根差した抽象的な地域のくくり。
この映画は、暮らしと身体が、地域と人びとが何も媒介せずに直接結びつきながら生きていた時代が、ゆっくりと終わっていく様子を捉えているように感じた。
まず目についたのは、人びとの生き生きとした身体の動きだった。冒頭、阿賀野川中流の山中の景色とともに、そこに作られた田んぼを耕しながら生活する80歳前後の夫婦(長谷川さん夫婦)が年齢表示とともに映し出されるが、加齢で衰えた身体を巧みに動かしながら稲刈りをする二人の姿を見るだけで、とても長い間ここでこうやって生きてきたのだということが伝わるようだった。また、餅職人の加藤さんが餅をつく姿も80代とは思えないほど軽やかだった。そのほか、人びとが魚を獲る様子や船に乗る様子、船を造る様子などが映されたが、自然の中で身体と動きが密接に結びつき、溶け合っているようだった。
映画の中では、「阿賀」の歴史がそれとなく語られた。あるとき、昭和電工鹿瀬工場が建てられ、3,000人を超える人間がそこで働きはじめ、人びとの暮らしが一変したこと。トラックの普及により、阿賀野川の運河としての役割が求められなくなったこと。そして、1965年に新潟水俣病が発生したこと。また、人びとの語りにも、「昔はこうだった」という表現が多く見られた。昭和電工の新潟進出については、ナレーションでは「辺境に近代がやってきた」と表現されていた。長谷川さん夫婦が暮らす地区には家が2、3軒しかなかったことから、この変化は近隣に一つ国ができたくらいのインパクトになりえただろうことが推測される。そして、この昭和電工鹿瀬工場こそが、新潟水俣病の発生源となる、有機水銀を含む廃棄水を阿賀野川に数十年流し続けていた工場であった。
登場する人びとのほとんどは80代前後で、40代、50代くらいの人もほんの少しはいた気がするが、若い人でも60歳を超えている場合がほとんどだった。彼らの子供も多くは60代だった。阿賀野川に浮かぶ船の大半を作ったと言われる元船大工の遠藤さんに弟子入りを頼み込むのも60代の人だった(この方の名前は失念してしまった……。遠藤さんはずっと素晴らしい船を作ってきたのだが、弟子を一人も取ることはなかったそうだ。しかし、この方の熱意に動かされ、船造りを教えることにしたのだった)。これらが意味するのは、これより若い世代の人びとが、この生活を受け継いでいく可能性はほとんどないということだろう。「安田町未認定患者の会」の会長の帆苅さんは、かつて阿賀野川で船乗りをやっていたため、「ダシの風」と呼ばれる安田の風の流れを、地元のボキャブラリーで非常に繊細に表現していた(あまりにもいろんな風があり、何を言ってるのかほとんどわからないほどだった)。あんな風に風を捉えられる人が今も残っているのだろうか? きつい方言や地元の労働者に口ずさまれたはやり歌は今も誰かに覚えられているのだろうか? むしろ90年代にこんな暮らしが残っていることに非常に驚いた。私の地元と方言が似ていることにも親近感を覚えた。祖母はあんな話し方をしていた。
また、政治的な主張や歴史観が明示されないことも印象に残った。それらはすべて、人びとの個人的な生を通してのみ感じることができた。
「安田町未認定患者の会」の活動や水俣病患者として未認定されなかった人びとが月に一度新潟裁判所に行く様子、加藤さん夫婦やお客さんの変形した手など、水俣病を直接想起させる描写は多くあった。当時、新潟水俣病に認定されていたのは650人程度で、2,000人を超える未認定患者がいたのだそうだ。事件から時間が経つにつれて認定基準が厳しくなったと言われていたため、歳をとってから発症した人はさらに認められにくくなっているのだろう。また、かつて魚を獲って暮らしていたという長谷川さんが、鮭の卵の漁について朧げな記憶を頼りに語っていた場面で、それを聞いていた三男が「自分も一度はこの目で見てみたかった」と言っていたことから、この漁はある時点で行われなくなり、その原因に水俣病の発生があることがなんとなく推察させられた。
人びとの暮らしを見つめる映画の眼差しから、政治的なメッセージや歴史に対する考えが極端に溢れ出ることはなかった。あくまで個人の生や語りを通じてそれとなく感じられるだけだった。
おそらく、これらは意図的な編集によるものだと思うが、それは政治性や歴史性を排除しようとするものではないのだろう。うまく言えないが、映画を通して感じられる監督や製作陣の態度から、歴史を一つの因果関係に整理することや一つの物語として定義づけることの暴力性と、ある生を「ありのままに」捉えることのむずかしさの両方に自覚的であることが感じられた。だからこそ「阿賀に生きる」は、ある語りを公式の語りとせず、そこに存在する人びとの個人の生きた語りとして繊細に捉えられていたと思う。全然言いたいことが言えていないと思うのだが、こんな風なやり方で歴史や時間に向き合えるものなのかととにかく驚いたのだった。
公式の歴史からこぼれ落ちていったもの、失われたことさえ気づかれないものついて考えをめぐらせることの意義について書かれた本を読んでいたので色々感じ入ってしまったのだった。そこにただあった生を、ただ一つの生として見つめることが自分にもいつかできるのだろうか。
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