2026年6月23日

『From Relationship To Juxtaposition』へのコメント

『From Relationship To Juxtaposition』についてコメントをいただきました。

読むだけで楽しくなるような、アルバムを聴いてみたくなるような素敵なコメントなので下記に掲載します。自分の意図していたことや意図していなかったことに言及されていて嬉しいです。

アルバムをすでに聴いている人もこれから聴こうか迷っている人もぜひ読んでください。



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ある小さな魚民を店ごと貸し切って毎年行われるんミィのお誕生日会は特にビンゴが豪華で旅行券や発泡スチロールの中でまだ動いている蟹や細い糸で織った生地が用意されているほか光沢の無いペンダントを得た常連についていくと店の裏に特殊景品交換所まで設けられている。一貫されているからこそ何かの影響がきたして数式が壊れて狂って怒られる(*1) かもしれないような一触即発のムードと、実は何の危険もなくただじっと黙って(*2) 立っていただけだったかもしれない可能性が『From Relationship To Juxtaposition』にはあり、それはんミィであり、小説についての会話などで私たちができればこうありたいと言っていた像でもあるので、仕事のあとに集まって食券形式の居酒屋へ行ったり、その流れで公園で花火をしたり、週末に2人で待ち合わせてペリメニ(*3) を食べに行ったり、その流れで土手で花火をしたり、栗拾いをした後にとんでんへ行って談笑してお手洗いに立って席に戻ったらカーペット状の床に私たちの服から落ちた棘がたくさん付着していて弁償すべきか店員さんに聞いたり、競馬に行こう行ったらこうしようああしようと繰り返し言っていた記憶はあるのになぜか行った記憶が無かったり、HUBに入ってしまい周りがうるさすぎて一言も会話せずにビールを飲んでバイバイしたり、といったことを思い出した。そしていま私はアルバムを聴きながら、これを書きながら、朝の通勤電車を引き返していて、それは駅の駐輪場に停めた自転車のホルダーに仕事で貸与されている携帯電話をセットしたままだったのを思い出した(*4) からで、私はまだ川崎市中原区の早朝の治安がいかほどなのかを知らず、まだあるのか、もう無いのか、インシデント報告書を書くことになるのか、書くとしたら発生経緯の欄にどれくらい事実を書き、その仮の事実にどのように無意味な対策を立てるか考えている時に、曲が現在の私を鎮め、未来を予告している。これは果たしてある時の音楽なのか、ない時の音楽なのか。 *1 ペップ・グアルディオラのクラブは急に0-4や1-5で大敗したりする *2 むしろ幸せに微笑んで *3 おいしかった *4 思い出したと言っても行きの電車で気づいたのではなく(*5)、 職場に着いてPCで基幹システムへログインするために二重認証が必要で(*6) わかった

*5 6:00に

*6 携帯のショートメッセージにしているから


好きな曲:「川沿い」「健忘症」「明るい夜」


立石草太(ジョンのサン)



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一曲ごとに、違った「まち」の景色があった。

人混みざわめく都市もあれば、生活感ただよう住宅街もある。


土地の力というのは案外強い。どんな店があるのか、どんな仕事をする人がいるのか、どんな歴史を辿ってきたのか…。そうしたものが、どうしても土地に滲み出てしまう。人の影響で「まち」に個性が生まれるのだろうけど、もしかしたら、人がどの道を選択するのか、「まち」のほうから仕向けられているのではないか?個人の意志なんかよりも、ずっと強い力が土地にはある気がする。


収録曲の「遭わない」は、そんなことを思い起こさせる曲だった。


道が多すぎる この町は 誰も遭わない

何も訪れず 風もなく 何も積もらない

どこかにまだ汚れていない

雪が残っていると思っていたのに


ひとりの何気ない感傷のようであり、移り変わる土地そのものの言葉にも聞こえたとき、私の前には茫々(ぼうぼう)とした「まち」が広がっていた。


好きな曲:「遭わない」

羽純



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友達にもらったお守りみたいなハンドクリームの香り、薄手のオーガンジーの半袖、そういう種類のものを端正で確固たる音像で守ってくれるシアーなサイケデリア。薄手のサイケデリア。なにもない。あばかれて呆然として、また少しほっとしていた。ゆっくりと進む情景に、忘れ続けていた自分の本当の速度が呼び掛けられている。

好きな曲:「八月」「健忘症」「明るい夜」

フリーダム昼子


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川辺をあるいていく、
このうたには歩調ということばが
それこそ似合う。

窓の灯りが見えてくる。

「そこで僕らは......」

この音を聞いた時、
私のなかにある“音楽”に
"悲しみ"が戻ってきた。

ひょっと、
何食わぬ顔して。

街には少しすき間があいている。
すき間があいているから風も吹いている。

僕らはここにいるんだ。

好きな曲:「場所」「川沿い」

宮嶋隆輔


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んミィさんのこれまでのソロアルバムについて、簡素なプロダクションのそれはあくまで草稿であり、実際に鳴らされる場所を必要としていた音源だったように個人的には思う。その場所が“んミィバンド”や“金曜日”であり、脳内で豊かなイメージを付加して鳴らすことができる人にとってはtiny popという概念だったということになる。

しかし、今回のアルバムは違う。リズムや音色のディティールに細やかな配慮・配置が為され、ソングライティングの素晴らしさはそのままに作品としての結晶度が段違いに上がっている。


ひなびたメロトロン、ガットギターの豊かな響き、部屋で生ドラムを録音した質感を模したかのように丁寧にヒューマナイズを施した打ち込みが冴える「Memorabilia」や「八月」を特に気に入って聴いている。


現在、んミィさんは人前でのライブ活動を行う予定は無いとのことだが、このアルバムの楽曲は録音物として完成されており、以前のように楽曲自体が鳴らす場所を欲しているわけではないからなのかもしれない。でもよかったらまたライブやりましょう。7年前に自分から脱退したのにこんなこと言うのもあれですが、また一緒にやりたいです。


好きな曲:「Memorabillia」「八月」


山田光



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※五十音順


山田さんには、収録曲「今もどこかで」の別バージョンにサックスで参加いただいています。

下記から聴いてみてください。15分25秒くらいから流れます。





以下、コメント欄にいただいたコメントです。嬉しいので記事の中にも掲載させていただきます。 

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ここ数ヶ月毎日聴いている。というか、この音楽以外何も聴けないが、この音楽は聴ける。人生も好みも分からないが、この世にいるときの位置のずらしかただけは、ほぼ同じなんじゃないかと思うことがある。このアルバムはこれまでの作品と違う。前作の夕方を探してとか川を歩いたとか、向こう側の曲がなくなった。向こうに広がる幻が見えなくなった。ような気がする。今作は昔歩いた街にそれを探しにいったり、意識に何もなかったりするが、内側に向こう側が大切に宿っている。守っているような感じがする。私もそれを聴くと、何か安心する。昔の曲は電子的なフレーズが主役だったけど、ギター演奏が主役で、とても音楽アルバムという感じがした。50年後誰か、私と違うけど、位置のずらし方が似ている人が必要とするのだろう。

好きな曲:「今もどこかで」

吉川毅

4 件のコメント:

  1. ここ数ヶ月毎日聴いている。というか、この音楽以外何も聴けないが、この音楽は聴ける。人生も好みも分からないが、この世にいるときの位置のずらしかただけは、ほぼ同じなんじゃないかと思うことがある。このアルバムはこれまでの作品と違う。前作の夕方を探してとか川を歩いたとか、向こう側の曲がなくなった。向こうに広がる幻が見えなくなった。ような気がする。今作は昔歩いた街にそれを探しにいったり、意識に何もなかったりするが、内側に向こう側が大切に宿っている。守っているような感じがする。私もそれを聴くと、何か安心する。昔の曲は電子的なフレーズが主役だったけど、ギター演奏が主役で、とても音楽アルバムという感じがした。50年後誰か、私と違うけど、位置のずらし方が似ている人が必要とするのだろう
    好きな曲 今もどこかで
    吉川毅

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    1. こんばんは。とてもよいコメントをいただきありがとうございます。作っているときにそんなことを考えていたかもしれないです。そういったことが少しでも伝わっているようで嬉しいです。
      よかったら記事の中に掲載してもいいですか?
      (んミィ)

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    2. どうも、いつも素敵な音楽をありがとうございます。記事の掲載は大丈夫です、ちょっと勘違いして、コメントをこの記事にしてしまいました。

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    3. ありがとうございます。もともとメッセージなどで送ろうと思ってたということですかね。せっかくなので、記事に掲載させていただきました。あまり見ている人はいないかもですが。(んミィ)

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